「本当に正しいことって、何なのでしょう?」誰しも一度は、正義や悪について心が揺れる瞬間があるのではないでしょうか。善と悪の線引きは時に曖昧で、誰かの正しさが、別の誰かの痛みになることもあります。『デスノート』『MONSTER』『LIAR GAME』といった心理サスペンス漫画は、そんな問いを静かに投げかけ、私たちに“正義を選ぶ勇気”を考えさせてくれます。
心を捉える善悪のグラデーション
「悪を裁く者は、必ずしも正義とは限らない」――。この言葉を思わせる物語ほど、人の心を強く揺さぶるものはありません。『デスノート』の夜神月は、犯罪のない理想世界を掲げながら、自らの判断を絶対視し、やがて神のように振る舞っていきます。一方、『MONSTER』の天馬賢三は、幼い命を救ったことから始まる悲劇を前に、医師としての倫理と人間としての正義の間で揺れ続けます。
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彼らの出発点は「人を救いたい」という純粋な願いでしたが、その思いがいつしか狂気や罪へと変質していく――。善と悪は決して遠いものではなく、紙一重の場所に共存していることを、これらの作品は静かに示しているのです。
揺らぐ正義、映し出される人間の本質
夜神月の正義は、やがて他人の命を奪うことでしか成立しなくなります。その姿には、人間が抱える「制御できない正義欲」の危うさが見え隠れします。対して天馬は、「善を貫くとは本当に正しいのか」という問いを抱えながら、それでも命を救おうと歩み続けます。
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『LIAR GAME』では、「信じる」か「裏切る」かという選択が人間の本性を映し出します。信じることが正義になる瞬間もあれば、それが最大の裏切りにつながることもある。その構図は、私たちの日常にも通じています。誰かを信じることの難しさ、そして信じ続けたいという希望――心理サスペンス漫画は、読者の心の奥にある“善悪の境界”を見事に可視化してくれるのです。
正義は一つではないという気づき
三作品に共通しているのは、「正義は一つではない」という真実です。立場や信念、環境が違えば、善悪の見え方も変わります。作者たちはその曖昧さを恐れず、むしろそこにこそ人間らしさを見いだしています。
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私自身、『MONSTER』を読み終えたとき、善と悪が混ざり合う世界の中でも人を救いたいと願う天馬に“希望”を感じました。それは「絶対的な正義」ではなく、「迷いながらも選び続ける強さ」。完璧でなくても、間違いながらも進もうとする姿にこそ、真の人間らしさが宿っているのだと思います。
まとめ|曖昧な世界に残る希望
現実でも、誰かの正義が別の誰かの痛みになることがあります。社会的正義、道徳的正義、個人の正義――そのどれもが交錯する今の時代、たった一つの“正解”を決めることはできません。
心理サスペンス漫画が描く「善と悪の境界線」は、私たちにその不確かさを受け入れる勇気を教えてくれます。そして、どんなに曖昧な世界でも、希望は必ず残る。正義を問う物語は、私たちが“どう生きたいか”を映す鏡であり、迷いながらも選び続ける心こそが、未来を照らす光なのだと思います。

