『無限の住人』で知られる沙村広明さんの『ブラッドハーレーの馬車』は、全1巻で完結する連作短編集です。名門ブラッドハーレー家の養女制度のもと、孤児院で暮らす少女たちは希望を胸に馬車へ乗り込みます。しかし、その先に待ち受けていた現実は、誰も想像しなかった過酷なものでした。
作中で描かれる養女制度は、少女たちだけを欺く仕組みではありません。慈善活動という名目が社会の疑念を遠ざけ、監視の目を鈍らせる一方で、制度に関わる人々にも都合のよい認識を与えています。誰が何を信じ、なぜ真実が見えなくなったのか。その欺瞞が成立した背景を、作品の描写に沿ってたどっていきます。
少女たちはなぜ養女制度に憧れたのか
ブラッドハーレー家の養女制度は、外部社会では孤児を救済する慈善事業として知られていました。孤児を養女として迎え入れ、聖公女歌劇団の一員として活躍させる制度だとされ、多くの少女たちの憧れを集めていたのです。
さらに、その名声も制度への信頼を高める要因になっていました。養女になることは孤児院の少女たちの憧れとされ、その華やかなイメージが制度の実態を覆い隠していたと考えられます。
そのため、養女となった少女たちがその後どのような生活を送っているのか、外部から知ることは困難でした。制度そのものが慈善事業という前提で受け止められていたため、不審に思われる機会も少なかったと考えられます。
慈善という名目が、社会の警戒心を鈍らせ、制度の裏側が見過ごされる要因になっていたと考えられます。
少女たちはなぜ最後まで希望を抱き続けたのか
養女に選ばれた少女たちも、自分たちの行き先を疑うことはほとんどありませんでした。歌劇団への憧れがあったからこそ、不安よりも期待を抱いたまま送り出される様子が描かれています。
養女に選ばれた喜びと未来への期待
孤児院で暮らす少女たちは、それまでに養女として送り出される少女たちの姿を見ながら、自分もいつか選ばれたいと憧れを抱くようになります。晴れ着をまとい、多くの人に見送られて旅立つ光景は、華やかな未来を想像させるものだったのでしょう。
こうした待遇は、少女たちの期待をさらに膨らませる役割も果たしていました。苦しい現状から抜け出せると信じていたからこそ、その先に待ち受ける現実を知る由もなかったのです。
馬車で運ばれる少女たちの期待と違和感
孤児院を出発した少女たちは、憧れだった未来へ近づいていると信じて馬車に揺られます。晴れ着をまとって送り出された記憶も重なり、その胸は期待で満たされていたのでしょう。
しかし、目的地へ近づくにつれ、思い描いていた華やかな世界とは少しずつ違う空気が漂い始めます。それでも少女は、その違和感の意味を知ることなく馬車を降り、希望に満ちた未来から絶望の入り口へと足を踏み入れます。
執行人はなぜ罪悪感を抱かなかったのか
執行人や関係者は、それぞれ与えられた役目を淡々とこなしており、自分たちの行動に疑問を抱く様子はほとんど見られません。少女たちの期待を裏切る行為であっても、普段と変わらない仕事の一つとして受け止めているように描かれています。
一人ひとりが決められた役目だけを担うことで、責任は自然と分散されていきます。そのため、自分の行動を特別なものではなく、その結果、自分の行動を日常業務の延長として受け止めるようになります。
この作品は、さまざまな視点から読み解くことで、少女たちの運命がなぜ変えられなかったのかも見えてきます。
養女制度から考察する人間心理
ブラッドハーレー家の養女制度は、社会、少女たち、そして制度を運用する側に、それぞれ異なる認識を生み出していました。外部には慈善事業、少女たちには希望ある未来という印象が広まり、その真実は長く隠されたままでした。
養女制度の恐ろしさは、表向きの偽装だけにあるわけではありません。それぞれの立場で疑う理由を失い、悲劇を受け入れてしまう状況が少しずつ築かれていきます。
本作はフィクションでありながら、善意や信頼という印象が人の判断に与える影響についても考えさせられます。現代社会にも通じるテーマだからこそ、作品を通して改めて本質を見極める大切さを感じられるでしょう。

